【青ヶ島ちゃんねる】佐々木加絵のwiki経歴や年齢・身長は?スタイル抜群の美人!

スポンサーリンク

YouTubeにて『青ヶ島ちゃんねる』を運営されている佐々木加絵さん。

名前の通り、青ヶ島の魅力や青ヶ島での暮らしを赤裸々に公開されていて話題となっていますね。

そんな佐々木加絵さんですが、見た目は非常に若くてとてもキレイな女性です。

どんな経歴を持っているのか、気になっている方も多いかと思います。

今回の記事では、

・佐々木加絵のプロフィール(年齢、職業、身長)

・佐々木加絵のwiki経歴7選

・東京時代に美容師やデザイナーとして働いていた?

・青ヶ島では民宿を経営している?

といった内容について、まとめた情報を紹介していきます。

スポンサーリンク
目次

佐々木加絵のプロフィール(年齢、職業、身長)

プロフィール

名前:佐々木 加絵(ささき かえ)

生年月日:1984年1月6日

年齢:40歳

出身:東京都青ヶ島村

職業:YouTuber、配達業、コワーキングスペースの運営、デザイナー、青ヶ島の観光ガイド、民宿の手伝い

身長:165cm

体重:60kg

趣味:お酒、音楽、絵を描く

佐々木加絵さんは、青ヶ島出身の女性で『青ヶ島ちゃんねる』というYouTubeチャンネルを運営されています。

2024年4月現在、年齢は40歳ですが見た目はとても40代とは思えないほど若く見えますね!

※2022年の投稿

高校からは上京して東京に住んでいたようですが、父親が亡くなったことをきっかけに、また青ヶ島に戻って暮らしているようです。

青ヶ島に戻ってからは、YouTuberのみならず、多種多様な仕事をされていますね。

赤慶

非常に多才な人物であることがわかりますね

佐々木加絵のwiki経歴まとめ

佐々木加絵さんのwiki経歴について、7つの項目に分けて紹介していきます。

  • 生まれてから中学生までは青ヶ島で暮らす
  • 高校進学のため、上京して1人暮らしを始める
  • 小さい頃の夢は、漫画家
  • 高校を卒業後、横浜の美容室に就職
  • 美容室を離職後、デザイナーや生産管理者として働く
  • webデザインの学校に半年間通う
  • 父親が亡くなって、青ヶ島に戻って実家の民宿で働く

※【青ヶ島チャンネル】のYouTube動画の内容から、主に引用しております

①生まれてから中学生までは青ヶ島で暮らす

佐々木加絵さんは、人口150人ほどの孤島である青ヶ島村で生まれ育ちました

両親が青ヶ島の出身のようで、佐々木加絵さん自身も中学生までは青ヶ島で暮らしていたようです。

その当時のクラスの同級生は、自分を含めわずか4人だけでした。

移住者が増えないから、子どももどんどん少なくなっていて。私が小中学生の頃は、同級生が4人いました。

文春オンライン

②高校進学のため、上京して1人暮らしを始める

中学までは青ヶ島で暮らしていた佐々木加絵さんですが、高校からは東京に出て1人暮らしを始めます。

佐々木加絵さんは服が好きだったので、大学に服飾系の学科がある女子校の高校に入学をしました。

赤慶

高校に入学するにあたって、青ヶ島から東京に出てきたんですね

③小さい頃の夢は、漫画家

佐々木加絵さんは、小さい頃から絵を描くのが好きだったようで、当時の夢は

漫画家になること

だったようですね。

赤慶

運動系はあまり得意ではなかったようですが、美術が得意であったようです

しかし、現実的に漫画家になるのは難しいと考えた結果、佐々木加絵さんは服飾系を学べる学校に進学することを決めました。

スポンサーリンク

④高校を卒業後、横浜の美容室に就職

服飾系の勉強ができる学校に進学した佐々木加絵さんでしたが、大学には進学せず高校卒業後は

横浜の美容室に就職

をします。

しかし美容師としては全くの未経験であったため、就職してからは休日も含めて毎日練習の日々だったようですね。

それでも、その美容室で働いて時期は

佐々木加絵

なんか色々頑張ってやるのがすごい楽しかったですね。
職場の人達ともとても仲が良くて、家族みたいな感じでした。

と語っていました。

そんな充実した仕事の日々を送っていた佐々木加絵さんですが、若さゆえか

佐々木加絵

2,3年働いたら、なんでか急に嫌になってしまった

とのことで、あっさりその美容室をやめてしまったそうです。

⑤美容室を離職後、デザイナーや生産管理者として働く

美容室を離職後、佐々木加絵さんはアパレル事務所でデザイナーや生産管理者として働くようになります。

佐々木加絵

洋服関係の仕事がいいかな...

と改めて思うようになった佐々木加絵さんは、当時人気のあった洋服のブランド会社に履歴書を送りました

履歴書を送った当初、そのブランド会社は人員募集をしていませんでしたが、人員が不足した半年後に見事入社が決まります。

そのブランド会社にて、佐々木加絵さんは5,6年ほど働くことになりました。

しかしその後、佐々木加絵さんはだんだんとブランド会社に対する価値観の違いや方向性の違いを感じ始めてしまい、またしてもあっさり退職をしてしまいます。

スポンサーリンク

⑥webデザインの学校に半年間通う

その後も職を転々としていた佐々木加絵さんですが、webデザインの職業訓練校がちょうど募集をしていたようで半年間通うことになりました。

半年間みっちりwebデザインの勉強をした佐々木加絵さんは、晴れてグラフィックデザイナーとしてエンタメ系の会社に転職をします。

しかしそんな束の間、青ヶ島の実家から訃報が届きます。

それは、父親が急逝してしまったとの報せでした。

⑦父親が亡くなって、青ヶ島に戻って実家の民宿で働く

佐々木加絵さんの実家の民宿である『かいゆう丸』

父親の訃報を聞いた佐々木加絵さんは、残された母親を心配して青ヶ島の実家に帰ることを決めます。

ちょうどその頃、佐々木加絵さんの実家は民宿をオープンする予定となっていたため、佐々木加絵さんは民宿の手伝いをすることになりました。

佐々木加絵さんは東京にいた頃に培ったwebデザイナーとしてのスキルを活かして、民宿のホームページやSNSなどを立ち上げます

そして現在もYouTubeで運営している『青ヶ島ちゃんねる』もこの頃に立ち上げて、青ヶ島の地域発展に大きく貢献をされていますね!

赤慶

東京でいろんなことを経験されて、周りに回って青ヶ島に帰ってこられた形ですね!

スポンサーリンク

まとめ

スタイル抜群の佐々木加絵さん

今回の記事では、YouTubeにて『青ヶ島ちゃんねる』を運営されている佐々木加絵さんのwiki経歴についてまとめた内容を紹介させていただきました。

東京に来て学んだスキルや経験を、青ヶ島に戻ってもいかんなく発揮されている様子が見て取れましたね!

今後も佐々木加絵さんの活動に注目していこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次